進研学習会ブログ

新学期の授業が始まる

2023.08.27

伊藤です。

本日は8月22日、夏期講習も今日で終わる。夏期講習が終われば当たり前だが新学期の授業が始まる。すぐに期末試験がやってくる。各学年9月から12月に習う内容はとても大事で、入試に直結する単元もでてくる。しっかりと頭にハチマキで頑張ってもらいたい。授業中にこの夏休みの思い出はあるか? とのワシの問いにある生徒が ほぼ,ここにいたよね。と周りに頷(うなづ)きを求めていた。みんなおおきく頷いていた。大笑いである。そりゃそうだ。お盆前の10日間の夏期講習では1日5時間位、お盆明けの5日間は朝10時に来て帰るのが早くて17時、半分の生徒が夜10時まで。まあ、このしんどい講習が次の模試にいくらかでも生かされるはずだ。期待したい。

今日、ある生徒から「先生は大学生の時の夏休みにどんなバイトしたんですか?」と問われた。私の大学時代の夏のバイトはけっこういろいろなものをやった記憶がある。その場では簡単に話したが、けっこういろいろなバイトを部活の合間にやっていた。
最も面白かったのはイベント会社のバイトで当時(昭和60年頃)全国的にはやった巨大迷路の設営、ふわふわボンボンの設営、夏祭りの夜店のたこ焼き、くじ、おめん、綿あめとかの設置・運営。まあ、楽しかったね。バイトの中でもワシはちょっと上の立場にあったので巨大迷路の図面から地面に距離を測りながら白線を引いて、「じゃあ、この線の通りに設置してくださーい」と言って、そのとおりやっているかどうかをチェックした。ふわふわボンボンは風が穏やかだと最高に楽だった。ひたすらコンプレッサーで空気を入れ続けるだけ。しかし、風が強いときは飛ばされないようにあっちこっちにペグという金属の棒をハンマーでガッチリ打って、飛ばされないようにしなければならない。一回だけ強風のせいで倒れたことがあるのだがもうどうにもならず、トラロープと杭、かけや(木のでかいハンマー)、スコップを用意してもらい、それで何とか固定したことがある。

そういえば、そのイベント会社で松山千春の野外コンサートの設営、警備を受注した時があって、それは最高だった。社員さんたちはステージ、楽屋の設営。音響関係は外注だった。 社長が「警備のバイトが50人ほしいのだが、今10人位しか集まっていない。マズイ、マズイ」と電話口で話しているのが聞こえた。ワシは「僕、集めますか?」と一言。携帯電話がない時代の夏休み中に10日で40人を集めるのはなかなか大変なことであったが、ワシは大学のハンドボール部のキャプテンだったし、あっちこっちに飲み友だちもいたし、工学部の学科対抗ソフトボール大会の主催者で短期のバイトをしていた。つまり顔が広いということなのだ。社長の目は輝き「伊藤君、集められるの?じゃあ予算は伊藤君に渡すからしっかり集めてよ。」 というわけで、すごい金額をいただきその範囲内で42人を集めた。2人は予備として確保した。ドタキャンが2名出ても40人を割らないためだ。もし40名を割ったらワシの信用がなくなるとも思った。松山千春というビッグネームなのでバイト代が5000円でもやりたい、という者もいてそういう者には松山千春が見えるところに配置した。

この2名多く用意したことでワシの株が急上昇。バイトリーダー的な存在になったのを覚えている。その後も何かと何十人と学生が必要な場面では社長から「伊藤君、来月◯日なんだけど25人、6時から18時で予算は合計で◯万円。集めてくれないか。」とか、予算丸投げで言われるようになった。バイト代は平均して1日12時間で1万円くらいをみんなに支払っていたように覚えている。バイト代はワシが決めた基準で初めての人は9,000円で2回目、3回目の人は10,000円、それ以上の人は11,000円。人集めに貢献してくれた人には20,000円以上。昭和60年頃の金額なので結構高かったはずだ。それでも今のような携帯電話なしでの連絡はかなり大変だったのでなかなか集めるのは苦労した。帰省していた者も多かった。愛車の原付きバイクスズキGN50で後輩、先輩、友だちのアパート巡りなんかもしたなー。人集めはしんどかった。いやーとてもなつかしい。
そういえばパンダの着ぐるみを着てジャスコ(現イオン)の屋上ショーもやったなー。社長に新聞のチラシを見せられて、「伊藤くん、日曜これ頼むよ。」と社長の指がチラシの「トントンくんと遊ぼう!」を指していた。午前1時間、午後1時間。夏場の屋上での着ぐるみは脱水で死にそうになった。そんな状況下でジャスコの広報の方たちが長いストロー付きのジュースを飲ませてくれたことを覚えている。社長にこれ見ておいてと言われたビデオでトントン君ショーの流れ、振り付けを覚えた。ショー自体は20分くらいであとは風船を子供たちに配って握手する、という感じ。トントンくんとの握手会には変なイキがった中学生がいて、握手でガッチリ握ってくる奴らがいた。こちらも相手の表情が歪(ゆが)む程度にしっかり握りかえしてやった。当時の伊藤の握力はハンドボール部で1番の右68キロ、左53キロ。トントン君の逆襲である。
いろいろなことを思い出したのでつい書いてしまいました。それでは、また。

 

 

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